考察とも言えない妄想集
11含むロトシリーズ、DQB2について色々考えたこと
*ドラクエ世界の死について
ベロニカもオルテガも、死んでしまう時骨も残りませんでした。(ベロニカはもしかしたら粉々に砕け散っているのかもしれないけど)
魔物を倒したとき跡形もなく消えるのはゲーム的演出かなと思っていたんですが、もしかして人間も同じ扱いだったりするんでしょうか。
他のゲームだと「戦闘不能」「気絶」だったりしますが、ドラクエだと明確に「死亡」してそこから魔法や教会で蘇らせられるので、物語上の避けられない死を演出するのってなかなか難しいですよね。あるいは跡形もなく消滅してしまうほど肉体の損傷が激しいのか…魔法がある世界観なので、体の組成も現実と違う可能性ありますよね。」
*勇者について
DQB2のムーンブルクで、「勇者のはた」というアイテムが手に入ります。もらったのはバッチリシドーが投獄されている時で、誰しも「大切な友達一人救えないのに何が勇者だよ…!!!」と憤慨したと思うのですが(主語でか主張)、このとき主人公は「友達を救う」ことより「ムーンブルクを守る」ために動いていますよね(シドーを人質に取られて働かされているともいう)。その行動はまさしく勇者なのかもしれません。勇者に命をくだす役割をもつ王様からもらうっていうのも皮肉が効いています。
そののち、「世界よりもシドーを助けたい!」と単身破壊天体シドーに乗り込むとき、「勇者のはた」を持ち込むことはできません。これはメタ的に攻撃力の低い「勇者のはた」では最悪積みかねないというのもあるのでしょうが、勇者という立場を捨てたという意味にもなるのではないでしょうか。ハーゴンにも、「勇者でもない、ただの村人にすぎない存在」だといわれますしね。
DQ11では、危ないからやめろと止めるみんなを置いて過去に戻りもう一度世界を救う選択をします。勇者とはひとりよりも世界を選ぶ存在なのだと描かれていて、DQB2との対比を美しく思っていたんですがアイテムでも表現されていたのかと勝手に熱くなっております。まぁ、DQ11の場合はベロニカを救う目的もあったので、世界だけを選んだわけではないのですが。
個人的に、”ひとりをすくうために世界を滅ぼす”…セカイ系に属するような話が好きなので、DQB2が余計に感慨深くなってしまいました。もちろん、世界を救う勇者も好きですよ。DQ3はちと救いがなさ過ぎましたけど!!
*DQB2の主人公が魔物に好かれるわけについて
DQB2はHD2Dリメイクより前のDQ2をもとに作られているので違うとは思うのですが、HD2D追加要素を踏まえて思ったことを。
HD2D版DQ3のメルキドには、モンスターバトルロードがありますよね。もちろん1や2の世代になるとなくなってしまっているんですが、メルキドはまもの使いが多い町だったのではないでしょうか。メルキド自体緑の少ない地にあるので、厳しい環境の中で魔物とは共生することも多かったのかもしれません。そんな中で、そのまもの使いの才能を多く引き継いでいるのが主人公だったとか!
そんなだから魔物と戦う経験も少なくて、シドーが心配になるほどへっぴり腰だったのかな…と考えたりもしました。そんな主人公もはかぶさの剣をふるいドラゴンにもトロルにも果敢に挑んでいます。